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【ディスクレビュー】BUMP OF CHICKEN 『orbital period』 - 「そして君のために歌われた歌はないと唄う」
2014-03-29 Sat 00:50

orbital periodorbital period
(2007/12/19)
BUMP OF CHICKEN

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 前作『ユグドラシル』以来、3年4か月ぶりとなった一枚。またしてもロングスパンを設けた「鎖国状態」になった彼らではあるが、前稿までの流れを踏まえて考えれば、それは彼らにとってのアイデンティティの模索を意味していたのは言うまでもない。
 だがこの間、まったく音沙汰がなかったというわけでもない。本作は全17曲、そのうちシングル曲は「プラネタリウム」「Supernova」「カルマ」「涙のふるさと」「花の名」「メーデー」と6曲も収録している。1年に2枚は必ずシングルを発表するペースは、3年の間で徐々に変化を遂げていく姿が明らかになっている。

 必要以上に歪ませず、クリーントーンを軸にしたギターサウンドは、前作で奏でた丸みを帯びたアコースティックな響きを、より自然な形に成長させた本作のキモになっている。「supernova」や「花の名」などの弾き語りに近いスタイルのスローな楽曲は言うに及ばず、個人的には「プラネタリウム」、「涙のふるさと」、「飴玉の唄」といったミドルテンポの楽曲に、サウンドの変化を見ている。逆に、「カルマ」などのハイテンポナンバーが寂しく聞こえるようになってしまったのは手痛い。

 ギタリストの方々なら首肯する話だと思うのだが、彼らの楽曲を弾くには別段テクニックに秀でている必要はないし、特筆したギターソロでグイグイと引っ張っていくようなタイプの楽曲も多くはないのだが、どこか耳に引っかかてとれないフレーズが、アタマへと入り込んで駆けめぐる、そんなマジックがある。
 あまり気づかれない特徴だと思うのだが、彼らのサウンドの置く場所(専門用語で定位という)が非常にうまく、なにより音圧が他のバンドよりも若干低く設定されているように僕には思える。ど真ん中でドンと奏でられるわけでも、両耳の端っこで慎ましく響くわけでもない、エレキ特有のうるささからは程遠い丸みを帯びた今作のギターサウンドだが、このバランス感覚によって紛れも無く「ロック」の範疇に入ってくる。「THE LIVING DEAD」で感じられたセンスの良さが、ついに本作で開花しているように思えるのだ。





 「arrows」の流麗なアルペジオから始まるシンプルなサウンドのなかで、まるで「ロストマン」の後を引き継ぐように<迷子>が登場する。

どれだけ大事にしても偽物だよ
でも大事なことは本当だよ
預けたものなら要らないさ 迷子のままでも
君さえ居れば きっとぼくでいられるさ
一緒にここから 離れよう


前作「ユグドラシル」では、自己への言及とアイデンティティを模索していた言葉が連なっていたが、ようやく本作で、彼らはリスナーに向けて言葉を発しているように思える。しかもそれは、以前のような<隣にいる>というテーゼとは、別次元のそれだ。


ねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて キミを笑わせているだけなんだ
人によく思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんか無い なれやしない なりかたがわからない



 こう歌われるのは「ひとりごと」だ。本作制作の初めの頃に制作されたと言われている。ともすれば、誤った勘ぐりを招きかねない一節だろうと僕は思うのだが、おおよそ藤原にはそんなことは関係などないと踏んでいるのだろう。Jupiter』の原稿でさらっと書いたが、こうした独白じみた内面の暴露は彼らの真骨頂、そしてソレを武器として研ぎ澄まされているのがよく分かる。
 しかも、本作でこう歌われた側であるリスナー側の返答は、彼らがツアーに参加するということで回収する、そんな構図によって補っている。ここで大きな剥離が見え隠れするようにも見えるが、それは大きなお世話であろう。なぜなら本作3曲目の「才脳人応援歌」では、藤原基央はこうも言い切っているからだ。

ファンだったミュージシャン
新譜 暇つぶし
売れてからはどうでもいい
はいはい全部綺麗事 こんなの信じてたなんて
死にたくなるよ なるだけだけど


~~~~~~~中略~~~~~~~~

僕らはみんな分かってた 自分のために歌われた歌など無い
問題ないでしょう


~~~~~~~中略~~~~~~~~
僕が歌う 僕のためのラララ
君が歌う 君のためのラララ
いつか 大きな声 ただ一人のための唄 ラララ



 自意識から生み出される極私的な内情の暴露が他者である聴き手の共感を得てしまう、それが彼らBUMP OF CHICKENの評価でありアイデンティティであったろう。だがココで彼らは、『自分たちが歌った曲は、別に君のために歌ったわけではない、それぞれの応援歌はそれぞれが自分のためだけに歌うんだ。』とはっきりと歌い上げている。初期の自分たちとを隔絶するようなこの冷徹な宣言と距離感は、ユグドラシルから成長した彼らを示す大切な一節だ。

 加えてこれまでの彼らの遍歴を踏まえて推敲すれば、(エゴイスティック的ではあるが)一度は自らのつよがりという偽善によって裏切ってしまったリスナーへの、<本当の藤原基央>の言葉の数々が本作には散りばめられているのであろう。<他者を灯台にして自分を照らす>ために歌っていた言葉が、<他者のために灯台を立てる>言葉へと、新たなBUMP OF CHICKENの始まりを告げる一枚となった。





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